月光

昭和の街並から、その名残の風景まで・・

青森県

温湯温泉 飯塚旅館

温湯温泉 飯塚旅館 屋号はこうじや? 2006年8月 黒石市温湯字鶴泉60

黒石 温湯温泉

温湯(ぬるゆ)温泉 湯治場 湯へ向かう人 2006年8月 温泉客舎 後藤とあります 黒石市温湯字鶴泉23

黒石こみせ通り 松の湯

松の湯 黒石市中町33 松の木が屋根からつき抜けている 現在は「松の湯交流館」という施設に 2006年8月

黒石市 こみせ通り

こみせ通りでねぷたを引く 2006年8月 笛の子たち 高橋家前

青森 黒石ねぷた

黒石市中町38付近 扇ねぷた 2006年8月 鉦を持つ子 高橋家の前で

青森県 黒石市

黒石 鳴海醸造店 文化年間より続く造り酒屋 黒石市中町1-1 2006年8月 夏の雁木は涼しげ

青森港より 北をのぞむ

上野発の夜行列車で 昭和55年(1980)9月12日

青森港 フェリー

青森港岸壁 ヤマイシ石川商店 昭和55年(1980)9月12日 青森から陸奥湾を北へ、下北半島脇野沢~佐井行きのフェリーまさかりの刃の形のあたりへ

青森市 市営魚市場

「青森市営魚市場」は「安方卸売市場」を経て、安方港埋立てにより昭和59年廃止。北海道の魚もここから鉄道によって関東・関西方面へ運ばれたとあります。昭和55年(1980)9月12日 左の建物は「まるは」? 道を横切る管は、現在も見られるようです。「日本セ…

恐山 残景

昭和55年(1980)9月7日

恐山 納骨塔

納骨塔とは・・いったい何?・・昭和55年(1980)9月7日 拝む人・・あの世も地続き・・

恐山 石積み

死児埋めしままの田地を買いて行く・・(寺山修司) 売りにゆく柱時計がふいに鳴る・・(寺山修司)

恐山 三途の川のほとりにて

かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて・・(寺山修司) 昭和55年(1980)9月7日 新しき仏壇買いに行きしまま行方不明の・・ (寺山修司)

恐山 お遍路

大師堂付近 昭和55年(1980)9月7日 大師堂わきにあったフルフェイスのヘルメットが転がっている

恐山 卒塔婆堂付近と総門

大きな卒塔婆が立ち並ぶ お供物にカラスが 昭和55年(1980)9月7日 総門 今はもっと大きな門になっているようです

恐山 あるいは天国の焼跡

言葉すら失われて・・ 下北半島恐山 昭和55年9月7日 これはいったい・・ 中央は石のお地蔵様? 左右は柱のようにしか見えない・・・

恐山 大師堂

大師堂 いろいろ縁(ゆかり)のものが供えられていたりしますが、右端のフルフェイスのヘルメットは・・・昭和55年(1980)9月7日 青森県 下北半島恐山

恐山 かざぐるま

石が積まれてお地蔵様がその上に 傍らのかざぐるま 昭和55年(1980)9月7日 宇曾利山湖と大尽山

恐山 地蔵

卒塔婆と地蔵 昭和55年(1980)9月7日

恐山 宇曽利山湖

下北半島恐山 極楽の浜とは名付けたり 昭和55年(1980)9月7日 砂浜にはたくさんの小さな卒塔婆が・・

恐山 お供物

青森県下北半島恐山 お地蔵様お供物 昭和55年(1980)9月7日 ろうそくの火で卒塔婆が燃えたか・・・ 遠くに人の姿も・・

恐山 地獄歩き

恐山独り散策 昭和55年(1980)9月7日 風化した岩に小石が積まれ ×× 地獄

恐山のカラスたち

青森県恐山 卒塔婆とカラス 昭和55年9月7日

青森県 恐山

恐山菩提寺 地蔵堂 昭和55年(1980)9月7日 風景は変わらなくても、雰囲気は違うかもしれません

津軽鉄道 津軽富士

金木駅から五所川原方向 遠くに岩木山 昭和55年9月14日 ディーゼル2両編成

津軽鉄道 金木駅

駅舎は建て替えられ、倉庫もない現在(いま)、この風景は失われた。 昭和55年(1980)9月14日 一カ所抜けている商店の看板・・ 空中の電灯

金木町 斜陽館

斜陽館 当時旅館業でしたが前夜は宴会があって泊まれませんでした。 この左隣にも旅館があり、そちらへ。昭和55年(1980)9月14日 雲祥寺 十王曼荼羅(地獄絵)のお寺 右側の斜めの松も健在のようです

東津軽郡 金木町

金木町(現在は五所川原市) 太宰治生家「斜陽館」 昭和55年(1980)9月14日

青森 津軽線・五能線

津軽線終点「三厩(みうまや)駅」今もほとんど変わらない景色か 昭和55年(1980)9月13日 津軽富士「岩木山」 五能線の車窓からか

龍飛崎 通りの町並み

龍飛崎メインストリート 階段国道339号線につながる 昭和55年(1980)9月13日 竜飛中学 昭和59年閉校