沖縄
那覇空港 民間と自衛隊共用 左に見えるのは海自機か 昭和54年(1979)10月2日 戦闘機が並んでいる 沖縄復帰は昭和47年 米軍は嘉手納飛行場を基地としている
ひめゆりの塔付近だったか 昭和54年(1979)10月1日 海が見える
那覇の南の方だったと 昭和54年(1979)10月1日 地元の方に連れて行ってもらった「亀甲墓」
左側は裁判所? 昭和54年(1979)9月 狭い通路はどこの市場通りだったか
煙草や菓子の店舗 「車は左」の標識がある 沖縄が右から左に変わったのは前年の昭和53年7月30日 木造住宅 軒下や戸袋、手摺りなど繊細な感じがする 昭和54年(1979)9月
店先にストッキング、駄菓子、タバコ、コーラ、赤電話 昭和54年(1979)9月終わりころ となりは松尾茶舗 その先は小児科
「あだん葉」という店名? アダンの葉っぱやさん? 昭和54年(1979)9月 路地にソファー 部屋の前にサンダル
靴店材料部 となりは泡盛と沖縄そば 昭和54年(1979) 屋根の重なりがいい感じ 日よけも可愛い 車はオシャレ
精肉と鮮魚 当時の沖縄、牛肉は安くてお土産になった。 魚はどんな魚だったか。 昭和54年(1979) 古びた琉球瓦 ブロック塀の上から子供がこちらを見ている
カーブする道 踏み石の上にサンダル 昭和54年(1979) 通りの裏側か
国際通りか ビクター犬が可愛い 志摩ビル 昭和54年(1979) 平識時計店は観光戻税承認店 となりは国際書房 瓦屋根がきれいです
東京銀座資生堂 カメヤマローソク 萬(よろず)荒物卸問屋さん 昭和54年(1979)9月 靴・化粧品・鏡・ジーンズ店 琉球瓦にシーサー 那覇市牧志3-5-7付近か
沖縄も赤いポストは同じ オロナミンやオリオン生ビールの看板がある 上の写真の右側 琉球瓦の屋根 昭和54年(1979)9月下旬
那覇市壺屋1-9-18付近 昭和54年(1979)9月下旬 正面あたりの雰囲気は残っているようです
登り窯でしょうか 洗濯機が印象的 昭和54年(1979)9月下旬 甕のようなものが山積み 窯に入れるときの「さや」かもしれません 街中とは思えない風景 右側が窯のようです
なをみ 味の素 壺屋洋服店とあるので那覇市壺屋か 平屋の家並み 昭和54年(1979)9月下旬 相互紙業 琉球瓦
新田家具店は現在も営業中のようです 2階の店名看板もそのままか 那覇市松尾2-21-4 200メートル先が牧志公設市場 昭和54年(1979)9月
那覇高校前バス停か 昭和54年(1979)9月 自転車店 宮田と大きな字が
寄棟というより方形?の平屋と二階建て 朝の風景だったか 南国らしい庭の木 電柱のポスター「労働大臣栗原~来る」 当時は大平内閣 昭和54年(1979)9月
琉球新報 琉球人形 那覇市泉崎 昭和54年(1979)9月 赤い瓦に白漆喰が本当に美しい
牧志東公設市場とある 昭和54年(1979)9月 日の丸の扇は何に使うのか 資生堂の宣伝 当時は「ゆれるまなざし」や山口小夜子のきれいなポスターだった
市場を通る高校生たち スカート丈が長い 昭和54年(1979)9月の終わり頃 市場の果物屋さん
通りの真ん中にも出店 中国風の袖看板も見える 昭和54年(1979)9月下旬 礼服専門店 秋もよろしく 残暑の礼服 暑中お見舞申し上げます
新天地市場正面入口とある 昭和54年(1979)9月下旬 山羊料理二十番 旅行案内所も琉球瓦
那覇市 赤い瓦に白漆喰が美しい シーサーも乗っている 国際通かその近辺 昭和54年(1979)9月