月光

昭和の街並から、その名残の風景まで・・

早稲田周辺

道路予定地だった

アパート二階の右端に丸窓。左端には洗濯物。人が住んでいる。今は立派な道路ができて、面影もなし。

神田川すぐそば

面影橋が架かるのは神田川。この辺りは染色業も多かったようです。川で洗って、天日で干す。今でもこのような光景は見られるのでしょうか。南こうせつの「神田川」は1973年。若かったあのころ何も怖くなかった。

面影橋で

都電面影橋の近くのアパートに、同郷の友人が住んでいた。流し台の上の小さな窓から、昼も夜も行きかう都電が見えた。それだけで、そこに住む価値があるように思えた。

都電線路わきの草っぱら

都電7502 荒川車庫行き。「運送」の看板。 下の写真の左側の煙突の建物は童話の挿絵のよう。線路わきの草っぱら、端には洗濯物が干してある。この頃の歌、あがた森魚「赤色エレジー」

都電と野球帽のこども

昭和47年(1972) この年は、札幌オリンピック、連合赤軍あさま山荘、沖縄返還、佐藤栄作首相退陣、田中角栄内閣発足とせわしない。 小さいこどもをおんぶしている女性と傍らの野球帽の少年。都電の運転手さん。

荒川車庫行 7501

踏切の標識がいい。信号機があって、遮断機はない。踏切だ鳴らせ心の警報器。「ペンキや」の看板。

書を捨てよ、

早稲田近くの都電の線路。 寺山修司の映画「書を捨てよ、町へ出よう」1971 ATG の舞台。主人公が観客に向かって何度も「バカヤロウ!」と叫ぶ。ゴ、ゴメンナサイ。